Raise your standard!

ライスタ(Raise your standard!)

一緒に物事の基準を上げていきましょう。読めば元気になるブログ。

周りに合わせて良いことなんか何も無い話

こんにちは。ゆーさんです。

周りに合わせるという行為は、協調性という意味では非常に大切なことです。

ただ、周りに合わせて結果として得られるものは何もありません。得られるとすれば、当たり障りのない現実(あるいは不満)くらいです。逆に、失うものの方が遥かに多いと思います。

 

この議論は良い部分も悪い部分もあるので難しいところですが、成功とか成長とか、結果を出すにおいて、周りに合わせるべきじゃないという話です。

 

周りに合わせるということは、自分の個性を削ぎ落としていくこと

協調性というのは一長一短だ。悪い意味で捉えれば、受動的、キレがない、リーダーシップがない・・・そう、キラリと光る特徴がないと言える。良くも悪くも、周りと同じレベルに合わせることになるからだ。

例えば、自分だけが理解できている状況でも、"自分が答えを示すと空気を読めていない"とか、"周りがこんなレベルなら、合わせて動かないと!"とか、実にもったいない思考に至ってしまう。

他にも学生時代であれば、自分がものすごく好きなものがあって、とても得意なのにも関わらず、周りのみんながそれを知らない、興味がない、少し特殊な扱いを受けるということから、その個性から離れてしまうこともある。

ゲームが得意であれアニメが好きであれ、ピアノにしろ、空手にしろ、続けていればその人特有の強みやコンテンツになるにも関わらず、"周りに合わせる"というくだらない習慣によって、その可能性の芽が摘まれることも多々ある。

 

周りのレベルに落ちてしまう

そうして自分の特徴を削ぎ落としていくと、自分の強みや特徴がなくなっていき、感覚が周りと近づいてくる。更には、思考レベルも周りと同じになってくるため、自分のレベルがグッと下がってしまうこともある。人は環境に多大な影響を受ける。人間は反応する生き物だ。だから、よっぽどの、完全な強い意志がない限りは必ず周りからの影響を受けてしまうのだ。

逆に、レベルの高い人たちに囲まれれば、自分の基準も上がって底上げされる。

 

セルフイメージが上がれば、周りに合わせる必要がなくなる

どんな時に周りに合わせるのか。それは、自分に自信がない時だ。

自分の中に確固たる意志と確信があれば、自分の個性を削り、レベルを下げてまで周りに合わせようとは決して思わない。

 

僕の個人的な経験でも、今まで何度も周りに合わせることを繰り返してきた結果、本当に勿体無いことをしたと感じている。

 

普段と違う世界の人と関わる!

会社であれ学校であれ、普段自分が属しているコミュニティは既に自分が染まりきっている。

だから、外の世界のレベルの高い人、モノ、コトに触れることが非常に大切になってくる。個性全開で生きている人や、自分より遥か高みに居る人を見れば、周りに合わせて自分を蔑ろにすることのバカバカしさや勿体無さにも気づける。上手くモデルを見つけることができたら、自分の中や基準も、そのレベルを目指して高めていけば良い。

行動しない → もったいない!

こんにちわ。ゆーさんです。

最近は毎日ライフログを書いていることもあり、自分を振り返ることや、自分と向き合うことが多くなっています。

というより、以前は全く振り返りをしてませんでした。今考えると、すげーもったいないなーって思います。

昔の自分はプライドも高くて、自分の失敗とか能力不足を直視するのが嫌で、言い訳ばかりしていたかもしれません。本も多読しているにも関わらず、知識を身に着けるだけで中々行動に移さない。典型的な「ノウハウコレクター」みたいな感じでした。自分では全くそんなつもりは無かったんですが。(苦笑)

やっぱり名著には良いことがたくさん書いてあって、「おお、こうすれば成功できるじゃん!やった!おっけい!!」って感じですかね。「この方法を実践すれば上手くいく!そう、やればできる!いつかやれば・・・」っていう感じかもしれません。そして、もっともっと良い方法があるはずだ、と、探していく。

でも、さすがに”行動しない”という事を何度も何度も繰り返していると、「あ、全然変わらへんやん」って気づくんですよね。そんで、周りを見渡せば驚くほど行動している人が居て、めざましい結果を出している。

僕みたいな行動しないタイプの人はたくさん居ると思うんですが、みんなこうやって気づいていくんじゃないかと思っています。

(でも、プライドが極端に高すぎたり、自分と向き合わずに目を逸らし続けていると、同じところで足踏みしてしまいますね。)

「あー、まさに今の自分だわ」とか「自分はそんなことない!けど・・・」とか、心当たりがある人には是非どんどんアクションを起こしてみてほしいと思います。

僕もまだまだ行動量が足りないんですが、すぐに人生が動き出すというか、色々変わってくると思いますよ!

 中々行動できない人は、こんな特徴があると思います。

・一気に色々やろうとする

・先の事を考えすぎる

・とにかくネガティブ

この要素たちは、とにかく行動を抑制してきます。

少しでも動こうとすると、バインッと弾力のある巨大なゼリーに跳ね返されるようなイメージです。

まず、一気に色々やろうとすると、必ず反動が来ます。人の性質とか心理はバカにできないくらい単純なものですが、よく言われる「ホメオスタシス」というやつは、かなりの確率で正しく作用してきます。さらに自分で、「あれもやらないと!これもやらないと!」と、自分を追い込んでしまいがちです。そんなしんどいやり方で、かつ、人間の性質に反するやり方でスムーズにいくわけがありません。

先の事を考えすぎるというのも良くないです。この癖への特効薬は「マインドフルネス瞑想」や「ヴィパッサナー瞑想」です。考えて動けない、考えた結果意味を感じられない、という悪習を断ち切ることができます。

ぼくはいつも先のことを考えすぎて、「いつ結果がでるの?」とか「効果あるの?」とか「時間が無いことを考えると、もっと良い方法があるはずだ!」とか、結局何もやらずに時間だけが過ぎることが多々ありました。(ほんと、それだったら何でも良いから行動して継続していれば、どれだけ良かったことか!)

また、ネガティブでいることも、ものすごいブレーキになってきます。この辺はセルフイメージを鬼上げ、底上げ、爆上げするしかありません。

セルフイメージを上げるのは骨が折れる作業ですが、とにかく弱い自分が根負けするくらい、自分と向き合うことや自分を褒めることを継続していくことです。最初は「絶対変われねーよ!!」っていうくらい、何も感じないし途方もない道のりに思えますが、継続していれば必ず結果が出てきます。

 

ということで、これからも理論ばかり垂れずにどんどん実践&行動を続けて行き、その結果や効果を共有して、つい前に進めない人に有益なデータをブログを通して発信していきます。

はてなブログを始めてよかったことを振り返ってみる。

こんにちわ。ゆーさんです。

表題の通り、はてなブログを始めて良かったことを振り返ってみます。ちなみに、初めて投稿したのは2016年の3月24日でした。もうすぐ1年経つんですね。

(良く続いたなー…そして1年経つのが早い!!)

 

ブログを始めたきっかけ

正直、あまり覚えてないですが、”アウトプット経験が大事だ”という内容を本やネットで見かけて、重い腰をあげてスタートした気がします。元々読書はたくさんしていたので、インプットしてきたことをジワジワと書き出していければ良いな、くらいに考えてました。

でも、思った以上に ”わかりやすく伝える” 文章を書くのは難しい。そして、書く内容もあまり思い浮かんで来ない。そんな日々だったと思います。

アウトプットの習慣を身につける、良い機会になった!

投稿期間が空いてしまったり、何度かそのまま放置しそうにもなりましたが、はてなスターを頂いたり他のブログを覗くことがモチベーションに繋がり、何とか継続出来ていました。そして、継続しているうちに”アウトプットする”習慣が身についてきました。

「なかなか読まれていない」「文章のレベルが低い?」「内容が薄い!?」などのフレーズが頭の中をよぎることも多々ありましたが、最初からキレのある内容やはてブがたくさんつくような記事をかけるわけもなく、冷静に、「まずは経験を積むんだ」と、自分の習慣維持や作業に取り組む姿勢に意識を置いて、取り組みを続けていました。

レベルの高い人たちの姿を見ることができた。

ホント、読みやすい文章、とても面白い文章、引き込まれる文章、軸のぶれない生き方、洗練されたライフスタイル、センスのあるデザイン、色々な人が居ますよね。メモ書きと鬼速PDCAに全力で取り組みをされているtoricagoさん

「ゼロ秒思考1.0」から「ゼロ秒思考2.0」の時代へ - toricago

Outward MatrixのShinさん

ゼロ秒思考を2年間実践した結果をレポートしてみる - Outward Matrix

行動量と行動力が自分とは圧倒的に違う。読んでいるだけで「おお・・・」と、自分も動こう、もっと全力でやるべきだな、と、モチベーションが上がります。更に、toricagoさんは”ライフハック共有会”、shinさんは”Players"というコミュニティを形成し、活躍されています。

お二方を含め、ほかのブロガーの方々にはかなりポジティブな刺激を受けました。

自分の足りない部分も知ることができた。

上述の通り、自分の甘さを痛感しました。たくさんの書籍から知識を学んできたものの、具体的に掘り下げて身に着けるまでに至っておらず、また、実践できているものは更に奥深くまで実践する余地も残っていました。もちろん、自分なりに努力してきたこともあったり、深く考えていたこともあり、自分なりの経験も伝えられる事も出来ていると感じているところもあります。

実践、実践、実践。アウトプットの重要性も再認識。

こうしてブログを続けているうちに、鬼速PDCAに取り組んでみたり、ライフログを書き続けたり、自分と向き合う「振り返り時間」を作ったりと、新たに実践&継続できることが増えてきました。この辺りから、仕事での学びが深くなって前より上手く回せるようになってきたり、自分のセルフイメージも以前より向上したりと、身をもって様々な効果を体感してきました。

 

ここで話が少し逸れますが、PDCAや自分と向き合う(振り返る)行為は本当に大事です。仕事での成長や、セルフイメージの向上にはかかせません。

なぜなら、人は「定義付け」をしないと、物事を明確に認識できないからです。

PDCAであれば、毎回きちんと自分の目標や行動と結果を振り返ることで、「自分の行為」に新たに形を与えることができます。「自分はこのような行動をした」「だからこうなった」ということで、自分の人生の軌跡を明確に形にして、自分の血肉とすることができます。

話は変わりますが、褒め日記も同じです。「自分は今日〇〇を頑張った」「前よりも〇〇になってる!すごい!」と、改めてきちんと振り返り、自分のプラス面を明確化することで、初めて自分のプラス面を認識することができます。これは、頭の中だけでは出来ません。

だから、成長のスピードが全然変わってきます。本当にきちんと認識しているか、どうかです。

 

このようなことを物凄いサイクルで回す人々は、そりゃ違うわな、という感想です。

だから、自分ももっと意識的に取り組みのレベルを上げていきたいと思っています。

自分に何が出来るか?

逸れた話が長くなってしまいましたが、じゃあ、これから自分には何ができるか。

まずは、メモ書きやPDCAなどのライフハック術を徹底的に実践し、その体験記と効果を世の中にシェアすることで、有益な情報をアウトプットしていければと思います。

また、以前から興味があり学んでいるセルフイメージについても、もっと深く、わかりやすく、そして効果がでる内容をアウトプットしていきたい。

 

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ドッヂボールは社会の厳しさを経験する闇の深いゲーム。

こんばんは、ゆーさんです。

今朝、出勤途中に小学校でドッヂボールをしている子達を見て、何かを感じました。

丁度、少年がボールをキャッチできずに落としてしまい、外野に移動をするシーン。

そのボールを落とした時のリアクションが何とも言えないものでした。

「しまったーー!」とか「うわーーー」などの子どもらしいリアクションではなく、自らの過ちを静かに受け入れるその姿に、少し心がキュッとなったものだ。

運動神経の良し悪しで、優劣が決まる

ドッヂボールというゲームにおいては、運動神経の良し悪しで立ち位置の優劣が決まってしまう。

どんどん敵をなぎ倒していけるパワーショルダータイプは勿論、どんな球でも拾ってみせるスーパーキャッチャーは中心的に活躍できる。(なお、彼が後に言葉のスーパーキャッチャーとなれれば、今後コミュ力で困ることはなくなる。)

一方、ボールが来たらびびってしまうスモールハートマンや、投げたボールが外野まで届かない魔法使い/僧侶的な存在は違うポジショニングが必要となってくる。

このドッヂボールという世界においての、勝者と敗者が決まってくるのである。それはまるで、社会人になったときの上司と部下、親会社と子会社、高所得者と低所得者のような厳しい現実。それを、意図せず疑似体験するのだ。

敗者復活というチャンス

しかし、ボールをぶつけられて外野に出てしまっても、外野からコート内の敵にボールをぶつけられれば再び復活することかできる。

これは、現実社会においても、あきらめずにもがけば社会復帰ができるというスーパーチャンスの疑似体験ができるものだ。

ここであきらめるのか、あるいは貪欲にボールを貰いに行きながらコートの中への生き返りを果たすのか。

ちなみに、外野に居ながら自分のところにボールが集まってくるかどうかも、普段からの立ち回りも重要となってくる。おれは戻りたい、と、友人たちに根回しを行っておく。運だけでは、ボールも手に入れにくいものだ。

チャイムが鳴り終わるまでのデスマッチ

ドッヂボールが終わるやいなや、チャイムが鳴った瞬間にデスマッチが始まる。

ローカルルールかもしれないが、僕の小学校ではチャイムが鳴り終わるまでの間、ボールをぶつけられた人が他の人にボールをぶつけ、とにかく"最後にボールをぶつけられた人がボールを片付ける"というルールが存在していた。

皆、全速力で下駄箱に走りながら他人にボールをぶつけ、何とかボールの持ちかえりを回避する。

それはまるで不祥事の責任をなすりつけ合うかのような大人の残酷さが垣間見える瞬間であり、この時にも子どもながらにして社会の厳しさを体感しているのだ。

 

この世はなかなか世知辛い。(ネタ)

 

【鉄板】ビジネスでよく使われるフレーズあるある

ビジネスでよく使われるフレーズあるあるを挙げていきます。

ちゃんと「聞いたことある」「あーあるあるww」と感じて

貰える内容をピックアップしてみました。では、いきましょう。

 

「正直ベース」

でました!!正直ベース。ことあるごとに使われます。

「いやー、今回は正直ベース・・・」

「正直ベースで話します。」

「正直ベースでいきますわ。」

言いにくいことを言ったり、ざっくばらんに話をするときに

よく使われるフレーズです。

正直ベイサーの諸君は果たして普段嘘をついているのだろうか。

個人的な体験では、「いやー、正直ベース、何も知らないんですよ(>_<)」という

発言を受けた直後に「いやー、ここだけにしといて下さいね」と、正直者として

交わして約束を瞬時に葬り去られた経験もあります。

おまえの正直とは一体なんなのか。ほんとに軽い言葉である。

いずれにしても、使えるフレーズではある。

 

「いずれにしても」

はい、すぐ先ほど使いました。<<<いずれにしても>>>

これもものすっごく便利なフレーズです。つい使っちゃう。

これまでの話の過程をひっくるめて、「いずれにしても!」

話が細かくなってきて面倒臭いときの、「いずれにしても!」

自分に都合が悪くなってきたときの、「いずれにしても!」

Anyway! Anyway! Anyway! 英文メールでも使っちゃいます。

纏めに入る段階でも多用されるフレーズですね!

いずれにしても、頻度には気を付けましょう!

 

「へんなはなし」

これもよく聞きます。<<<へんな話!>>>

「へんなはなし、こういうこともあるんですよ・・・」

「へんなはなし、こういう風になってまして・・・」

「へんなはなし、うちもそうなんですよ・・・」

聞いてるうちに、何が変なのかが全く分からなくなってくる。

しかし、「へんなはなし」でググると、以下のような情報が出てくる。

詰まる所、「変な話」は、別段変な話(変わった話)ではなく、会話上で自身の意見へ謙遜を含ませる表現、または自身がこれから述べる意見・発言への意識な「自己防衛」手段の一種、または話術という意見がネット上である。

(引用:ニコニコ大百科)

そう、決して”変わった”内容である必要はなく、クッション言葉として使用されるのだ。

しかし、たまにこのクッションを乱用する者がいる。

かつて営業で出くわしたことがあるが、すべての発言の冒頭に<へんなはなし>を

つける、変なストーリーテラーが世の中には存在した。

あんたはお客に変な話しかできないのか!と脳内で突っ込んでから、笑いをこらえるのが大変であった。

 

「~という世界」

これもよく言っちゃう。「そういう世界」とか「こういう世界」とか。

業界とかコミュニティにおいて存在している”考え方”や”習慣”あるいは”仕方のない事情”なんかがあると使われたりする。

「ほんと車載向けの業界は厳しいですよね」

「そういう世界なんだよ。」

「たけのこの里ときのこの山の論争って結局、結論が出ないですよね。」

「そういう世界なんだよ。」

「〇〇さんっていつも鼻毛出てるのにモテますよね。」

「そういう世界なんだよ。」

 

<<<そういう世界なんだよ。>>>

なんて便利なフレーズでしょう。でも、そういう世界なんです。

 

まだまだありますよね。

多分、業界毎のあるあるはもっと幅と深みがあるだろうし、

地域ごと、会社ごと、コミュニティごとにも色々とあるだろう。

もちろん自分もつい使ってしまうけれども、ふと冷静になったときに

突っ込みどころ満載の口癖だな、と思ってしまう。

人混みでのストレスを軽減する、スリップストリーム歩行法を紹介する!

こんにちわ。ゆーさんです。

今日は、人混みでのストレスを軽減する歩き方を紹介します。

その名も、スリップストリーム歩行法。

つまり、ただ単に誰かターゲットを見つけて、その人の後ろについて歩くだけです。

 

スリップストリームとは?

 高速走行をしている他車の後ろにできる空気抵抗の小さい領域。

ここに入ることで単独で走るよりも速度を伸ばすことができるため、結果として前車を追い抜くのに使える。

 (はてなキーワードより)

そう、カッコ良く書いていますが、単に人の後ろをついていくことで、

自分で「この人は右か!?左か!?」とか、「横切ってくるのか!?」などの思考と判断を行わずに移動することができるため、非常に楽なのです!

そして、貴重なウィルパワーを大幅に削減できます。

特に、朝の通勤ラッシュ時では有効。

僕の会社の最寄り駅はビジネススポット。電車の乗り換えもある駅なので、人々があらゆる角度に歩いて行きます。

自分が先頭に立って、逆方向にむかうビジネスマン達の流れに逆らったり、

自分が進む方向の流れを生み出すのは非常に疲れる行動。

心優しく「どっちだ!?」などと毎回遠慮をしていても疲れてしまうし、

「我が道を行く。」と、断固として譲らない態度で直進するのもまたストレスの原因となります。

そんな時、誰かの後ろにササーッとついて行くだけで、万事OKです。

ターゲットを誤ると、失敗することもある

今のところ僕はまだ経験がありませんが、ターゲットを誤ると失敗することもありえます。

たまにいる、予想外の方向転換を行う人がそれです。

その場合、確実に巻き添えを喰らいます。(笑)

なので、狙うべきターゲットは「猪突猛進タイプ」です。

そこまで深く考えなくても大体の感覚で分かると思いますが、見事にスイスイ進んでくれる人がいます。

せっかくなので、その人が切り拓いてくれた道を突き進んでいきましょう。

こういった日常の工夫が、時間とバイタリティを温存してくれる

いわゆるライフハックですね。こういった工夫が、日々のストレスを減らしたり、無駄な時間を削減してくれたりします。

ちなみに、更に次元を上げた解決法を言うのであれば、「人の少ない早朝に時間帯を変える」あるいは「徒歩通勤が出来る距離に引越しをする」という選択もあります。

とりあえず使えるライフハックだと思いますので、是非トライしてみて下さい!

 

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【疲れてしまう人へ】人に合わせる必要はない。

あなたは他人に合わせる必要なんてない。

ついつい、人に合わせてしまう。そんな人は多いのではないだろうか。

「人に合わせる」というのは、もちろん協調性のある行動だ。平和的であるし、共感力も必要だし、適応力と言い換えることもできる。

だが、そのようなプラス面よりも、いつもどこかで不自由を感じることの方が多いのではないだろうか。

「迎合」と「共感」は違うぜ。

他人とのコミュニケーションの中で、

「反射的に人に合わせてしまう!」

「自分の意見を言うことができない!」

「勝手に反応してしまう。」

「もはや、コントロールできない」

このように感じてしまうこともあるかもしれない。

このような場合、理由は明白だ。自信がなさすぎるのである。

自分に自信がないため、他人との衝突を恐れ、他人に意見することもできず、自分の意見への批判を意識的にも無意識的にも恐れすぎてしまっている。

もしかしたら、”自分はつい共感してしまう”と思っているかもしれない。でも、実際はそうではない。ただ単に他人の意見をすべて迎合してしまっているだけである。

ホントは世の中に正解なんてない。

あなたの意見が間違っていて、他人の意見は正しい。そんなことはありえない。

もう一度言う。そんなことはありえないのだ。

だから、あなたは自分の意見を一番に尊重するべきだ。自分の感覚と、自分の気持ちと、自分の考えを、一番に尊重するべきなのである。

もう一度言う。自分の感覚を一番大事にするべきなのだ。

自分の考えや意見を即座に投げ捨てて他人に迎合してしまうということは、自分を全く大事に出来ていないし、自分自身を傷つけている。無意識の内に、心は傷だらけになっているはずだ。そうすることで、更に負のスパイラルに陥ってしまう。

しんどいはずである。

迎合ばかりしていると、しんどいはずだ。

当たり前である。自分を大事にできていないのだから。

「なんか、人からの反応が冷たく感じる」

「スルーされることが多い気がする」

「自分の考えを持てない。考えることが苦手だ。」

こんな風に感じることも多いかもしれない。

もちろん他人の意見に迎合するとき、一瞬だけホッとする。これで批判を受けることはないのだから。

ただ、その後すぐに、あるいはしばらくしてから、毎回同じことをしている感覚や、逃げている感覚、自分を大事にする気持ちが枯れてしまっている事も薄々と感じてしまう。だから、ストレスが貯まっていく。

正直、迎合されている側はすぐに感覚で分かる。悪意のある人が相手であれば、間違いなくすぐになめられる。そうでなくても、違和感を覚えるし、微妙な距離感が生まれてしまうものだ。

迎合をやめるだけで上手くいく!

 まずは、極端な迎合をやめれば良い。

”簡単に出来たら苦労しねえよ!”と思われるかもしれないが、こればかりはアクションに移していくしかない。で、実際に体感をしてみるしかない。

なにより、迎合マンよりも自分の意見を持った人のほうが、圧倒的に魅力的なのだ。

「なに食べたい?」と聞いた時に、

「うーん、何でも良いよ!あなたに合わせるよ!」と言われるより、

「お肉~~~♪」と言われる方が、気持ちよくないだろうか。

(ここは個人の感覚にもよるが、あくまで一例としてとらえて頂きたい。)

 

と、このように我を通すのも一つだが、単純に”反応しない”、というのも一歩前進となる。交渉事などにおいては、沈黙というのはものすごく効果的だ。

好き勝手を言ってくる取引相手の話に相槌を打たないだけでも、相手は話の調子が崩れてきたりする。

ということで、意識的に取り組んで、その効果を体感してみれば、あなたは自分を大事にする感覚をつかみ始めることができる。

大丈夫だ。死にはしない。むしろ、得られるものの方が大きい。

 

戦略的に「人に合わせる」のは、別の次元の話

上述の通り、「迎合」と「共感」は異なる。

「人と合わせる方が物事が上手くいく」「協調性は大事」もちろんそうなのであるが、

しっかりと自分の意見の自信を持ったうえでコントロール出来ている人はそう多くはない。

それよりも、ストレスや辛さを感じているようであれば、まずは自分の土台をしっかりと整えられるようにセルフイメ―ジを高めて、自分を大事にすることから始めて行ければ良いと思う。

 

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