ドッヂボールは社会の厳しさを経験する闇の深いゲーム。
こんばんは、ゆーさんです。
今朝、出勤途中に小学校でドッヂボールをしている子達を見て、何かを感じました。
丁度、少年がボールをキャッチできずに落としてしまい、外野に移動をするシーン。
そのボールを落とした時のリアクションが何とも言えないものでした。
「しまったーー!」とか「うわーーー」などの子どもらしいリアクションではなく、自らの過ちを静かに受け入れるその姿に、少し心がキュッとなったものだ。
運動神経の良し悪しで、優劣が決まる
ドッヂボールというゲームにおいては、運動神経の良し悪しで立ち位置の優劣が決まってしまう。
どんどん敵をなぎ倒していけるパワーショルダータイプは勿論、どんな球でも拾ってみせるスーパーキャッチャーは中心的に活躍できる。(なお、彼が後に言葉のスーパーキャッチャーとなれれば、今後コミュ力で困ることはなくなる。)
一方、ボールが来たらびびってしまうスモールハートマンや、投げたボールが外野まで届かない魔法使い/僧侶的な存在は違うポジショニングが必要となってくる。
このドッヂボールという世界においての、勝者と敗者が決まってくるのである。それはまるで、社会人になったときの上司と部下、親会社と子会社、高所得者と低所得者のような厳しい現実。それを、意図せず疑似体験するのだ。
敗者復活というチャンス
しかし、ボールをぶつけられて外野に出てしまっても、外野からコート内の敵にボールをぶつけられれば再び復活することかできる。
これは、現実社会においても、あきらめずにもがけば社会復帰ができるというスーパーチャンスの疑似体験ができるものだ。
ここであきらめるのか、あるいは貪欲にボールを貰いに行きながらコートの中への生き返りを果たすのか。
ちなみに、外野に居ながら自分のところにボールが集まってくるかどうかも、普段からの立ち回りも重要となってくる。おれは戻りたい、と、友人たちに根回しを行っておく。運だけでは、ボールも手に入れにくいものだ。
チャイムが鳴り終わるまでのデスマッチ
ドッヂボールが終わるやいなや、チャイムが鳴った瞬間にデスマッチが始まる。
ローカルルールかもしれないが、僕の小学校ではチャイムが鳴り終わるまでの間、ボールをぶつけられた人が他の人にボールをぶつけ、とにかく"最後にボールをぶつけられた人がボールを片付ける"というルールが存在していた。
皆、全速力で下駄箱に走りながら他人にボールをぶつけ、何とかボールの持ちかえりを回避する。
それはまるで不祥事の責任をなすりつけ合うかのような大人の残酷さが垣間見える瞬間であり、この時にも子どもながらにして社会の厳しさを体感しているのだ。
この世はなかなか世知辛い。(ネタ)