【自分が我慢すれば・・・】自己犠牲的な人、それ何の為?
こんにちわ。ゆーさんです。
世の中、自己犠牲の精神で周りや世の中の為に尽くしてくれる人が居ます。その優しさにつけ込む人もたくさん居るし、素直に甘える人もたくさんいる。でも、自分を犠牲にしてまで尽くしている人、それ、しんどくないですか?
どうしてそんな精神を持っている?
「人が傷つくのを見るのは悲しい。それなら、自分が耐える方が良い」そのように思う気持ちもあると思います。(この時点で「そんなのありえねえ!」と思う人もたくさん居ると思いますが、実際にそういう優しい心を持った人も居ます。)
あるいは、自己犠牲的に尽くすことで「救われるような気持ち」がある人もいるはず。どうでしょうか?
あてはまる方、”あなたはどんな罪悪感を持っている”でしょうか?
自分は幸せになってはいけないという思い込み
自分は幸せになってはいけない、そういう想いが心の中に潜んでないでしょうか。このようなタイプの人に圧倒的に多いのは、「僕なんかが・・・」「私なんかが・・・」「どうせ・・・」という口癖。
ここでポイントになるのが、「本当に周りのことを考えている人」「自分の為に周りのことを考えている人」「そのどちらも混ざっている人」の、3種類のパターンがあること。
上記の口癖がある人は、セルフイメ―ジが下がり、自分を大切にできなくなり、自分を蔑ろにせざるを得なくなっている。本当は幸せになりたい、救われたいと思いながらも自己犠牲によって気持ちを押さえつけている状態。だから、苦しいし、心の底では幸せになりたいと思っている。本当は自分は悪くないと思っている。周りに原因があると思っている。
「本当に周りのことを考えている人」は、過度な自己犠牲などには嵌っていません。きちんと自分も大事にしています。心に余裕があります。
自己犠牲癖への処方箋は、自分を大切にすること
無理してる人、それ、あなたが我慢しなければいけないことですか?
というか、その我慢、意味ありますか?
本当に周りを幸せにするなら、まず自分が幸せになることです。あなたが無理をする必要なんてありません。
被害者意識を持ってしまう、自己犠牲に徹してしまう状況に陥っていると、”自分を優先するべき”という考え方が全く分からなくなる。”自分を優先する”という行為に踏み切るのに、ものすごい抵抗が押し寄せてくる。
でも、やってみるしかありません。少しずつでも構わないから、行動を変えていくしかない。そうやって変えていくうちに、視界がものすごくクリアに広がる瞬間があると思います。「ああ、こうやって好きにして良いんだな」「ああ、自分は今まで自分になんてひどいことをしてたんだろう」そう思える瞬間が必ず来ます。
堂々と、思い切って考え方を変えてみて下さい。