コミュニケーションにおける”前提の共有”
コミュニケーションとは何なのか。
語り尽くされてきた議題だろうが、自分の社会人経験の中で感じてきた内容を書いていきたい。(すごく当たり前のことを書く。)
コミュニケーション=意思疎通
すごく簡単に言うと、コミュニケーション=意思疎通。
意思疎通とは、お互いの意見や考えをきちんと共有すること。
その為には、「土台となる前提」の共有が不可欠だ。
では、土台となる前提とは何なのか。
簡単に言えば、予備知識や業界知識、お互いの状況の理解や把握。一般知識や常識、などなど。
前提の共有ができてなかったら、意思疎通は成り立たない。
新入社員の時に年配の人から仕事の引継ぎを受けるとき、かなり苦労した経験がある。というのも、何の知識も持たない僕に対して、すべてを自分の土台ベースで話してくる人(定年直前)から業務を引き継ぐ必要があったからだ。
もうそれは尽くコミュニケーションを取れない人だった。良く言えば真面目、そして時には厳しさを持ち合わせたティピカルオールドサラリーアンなのかもしれないが、とにかく辟易とした。
僕にとっては一般的な社会人的な常識から商習慣、専門知識や英語等、初めての経験だらけだったのだが、とにかく己の目線から発せられる一方的な発信にはついていくのがやっとだった。(いや、ついていけていたのかもわからないが。)
周りの先輩や上司に相談しつつ、引継ぎ自体は無事に終えたものの、僕はこの経験からコミュニケーションの大切さをとても学んだ。
余談だが、その定年直前のと客先で面談をしていても、そのコミュニケーション力の低さはひしひしと感じられた。(どう見ても雑談のレベルが低かった。)
真の目的は何なのかを考えるべき
コミュニケーションを行う上での真の目的は何なのか。
当時の僕の状況であれば、当時の上司は僕に仕事をしっかりと引き継ぐことであるし、僕も仕事をきちんと理解してしっかりと引き継ぐことが目的である。
だが、その大義にも落とし穴があり、個々人の感覚によってその中身はガラっと変わってくるのだろう。
上司:(とにかく必要なことを伝えまくって)仕事を引き継ぐ(自分はきちんとやった。あとは定年。)
ぼく:(いろんなことをきちんと理解して)仕事を引き継ぐ(それが会社のためとなる)
というくらい、感覚も目的も違っていたのではないだろうか。
相手がどこまで理解しているのか、どのステージに居るのかを確かめる
これって当たり前のことだと思うんですが、社内であれ取引先であれ何か頼み事をする場合、相手の状況や理解度、つまり前提の確認なしには正確なコミュニケーションなんて図れない。
前提が違うことで互いの理解が異なり、想定と全く違う結果が生まれることも多々あるからだ。
だから、僕自身は後輩に何か頼みごとをするときであれ、仕事を振るときであれ、相手がどこまで理解しているのか、何を考えているのか、きちんと共有できているのかを確かめる。
取り引き先とのやり取りでも同様である。
そして、自分自身と相手の前提を共有していく。
相手だけでなく、自分が理解不足があるところは自分が確認を。相手に不足があるならば、そこを補う。
こうしてコミュニケーションは成り立っていくものである。
相手をきちんと理解する。
これに尽きます。
以上!